3月21日は日本では「春分の日」ですが、エジプトは「母の日」です。
各学校では、母への感謝と、母なる国エジプトへの感謝の式典が行われます。
校長や来賓等の祝辞の後、国歌斉唱、エジプトや母を讃える歌などが続きます。
その後、母親の女性教員全員に対してひとりひとり感謝状とプレゼントを贈ります。
感謝状を贈るときに、校長らがアドリブで一言付け加えるのですが、それが愛情と感謝とユーモアに満ちていて、周りの教員や生徒たちも大はしゃぎで拍手大喝采です。
表彰やパフォーマンスが大好きなエジプトですが、こういう式典は何度あっても良いなあと思いました。
日本では、「母の日」などは、各個別家庭のプライベートなイベントですが、学校で「母への感謝」について触れて讃える機会を設定するのも、教育的意味があると思います。とりわけ、家庭崩壊やニグレクト、虐待などに人知れず苦しんでいる子どもたちに、光を当て、寄り添えるきっかけになるかもしれません。
さらに、放課後、時間があったら図書館に来てくれ、と言われたので行ってみると、パーティー会場が設定されていました。「母の日」のお祝いを兼ねて、今年退職になる女性教員の、誕生パーティーだそうです。イスラムの風土は、一見、男尊女卑のようでいて、なかなか、「母は強し」です。退職を迎える女性教員も、少し誇らしげな面持ちです。
こちらも、即興の詩の朗読あり、歌あり、感謝の言葉ありで盛り上がりました。
特別なプレゼントも用意されていました。
何かちょっとしたことで、このようにみんなで集まり、即興的に手作りで和気藹々と楽しむエジプト人が、新鮮でまぶしく、また懐かしく見えました。日本でも仲間内の盛り上がりというのはあっても、人の行き交うところ何処ででもそのような輪ができるということは現在の日本ではあまり見かけません。「花見」の席や田舎の居酒屋で時々遭遇することはありますが (^^)、地域社会というのが日本では急速に崩壊しているのだなと思います。それでいて、暑苦しい「同調強制」だけは根強く残っているからまた不気味。
今のエジプトを見ていると、日本の第2次大戦後の社会の残像と重なるところがとても多く感じます。ベビーブームと、大人数でギュウギュウ詰めの教室(小学校1学級70人)、軍隊式訓練、詰め込み教育・・・スクラップ・アンド・ビルドのセピア色の街並み、放し飼いの家畜・家禽、真っ黒な排気ガスを出して走るバスやトラック、活気に溢れていると言うべきか、猥雑で喧噪とした人通り・・・そして、仲むつまじく、健気に支え合い助け合う人々、フレンドリーで愛情あふれんばかりの仲間たち・・・
社会が進んでいるとか遅れているとか言うつもりはありません。日本は、制度的整備は多少進んできているものの、「経済効率」や「成果主義」や「自己責任」など、哲学のない浅薄な実用主義的理解、当面のご都合主義によって、大事に守るべきもの、大切なものを、相当失ってきているのではないか、と強く感じさせられるのです。
あまつさえ、再び国家のミスリードによってそれらが破壊つくされようとしている歴史逆行的現実、そしてその国家の中枢が救い難いほどモラルが低下していることに、強い危機意識を感じているのです。
もちろんそのことは、日本1国の特殊事情ではありません。
現代の「グローバリズム」の負の側面、資本主義の作り出す、ルール無き多国籍企業の暴力的自己増殖によるものが大きいと考えます。残念ながら現代に生きる人類はそれをコントロールする理性と知性、そして感性や美意識(内面的品位)がまだまだ育っていないということでしょう。とりわけ、政治家、経済・企業家においては。
こんなときにどうでも良いことが頭をよぎり、苦い思いが纏わり付くのは、それだけエジプト人の天真爛漫な笑顔に接し、ホッと心が和む機会が増えてきたことの逆の証、日本人としての反作用だと思います。もちろんエジプトも、軍事政権とか、自爆テロとの闘いとか、格差社会とか、いろいろ課題はありますが、庶民は遥かにおおらかに、したたかに生きています。