2018年3月10日土曜日

スークで買い物(おまけ)



鶏の陰に隠れて気づかなかったのですが、ウサギも売ってました。
1匹40ポンド(約250円)です。ちなみに、鶏は1匹35ポンド(約200円)です。

イスラム教徒は豚は食べないので、肉屋やスーパーには全く売ってませんが(コプト教徒の経営する個人商店では、奥にしまっておいて売ってくれる店もある)、それ以外の肉は何でも食べるみたいです。

鶏や牛はもちろん、鳩や七面鳥、ウサギや羊、そしてラクダ肉も売っています。

ラクダは食肉として売ってますが、ウサギや鶏を1匹丸ごと買った後はどうするんでしょうね。お店の人に処理を頼むのでしょうか、自分でやるのでしょうか・・・。

考えてみれば、日本では今、動物の肉は、食肉としてしか店頭に並んでいませんが、確かに自分の幼い子どもの頃、祖母の家では鶏を飼っていて、ときどき「鶏をつぶす」手伝いをさせられたことがあります。と言ってもホントに小さいときでしたから、鶏の羽を抜き取るくらいの手伝いです。それにしても、幼心に、羽が根元で折れて突き刺さったまま残ったり、鶏の肌がブツブツまばらになっていたりを目の当たりにして、最初ショックを受けて、しばらく食べられなくなりました。今でもその残像が残っています。


私たちが食べている肉や魚や、もちろん何も言わないけれども生きている野菜。
これらも、人間が命を「奪い」、「調理」をし、私たちの口に入っている、という現実と過程を、私たちは無視したり隠したりしてはいけないし、
それら全ての尊い命を「いただいて」自分の命が保たれているのだということをしっかり自覚し、贖罪意識と感謝の念を捧げなくては申し訳ない、と思うのです。

「美味しい」というひとことは、素材や調理に込められた意味と思いの全てを汲み取った、感謝のことばでなくてはいけないのだろうなと思います。

カイロのスークを歩きながら、人間の「業(カルマ)」という所作に、ふと改めて思いをはせてしまいました。

「いただきます」
ちなみに、アラビア語では、食前に、「ビスミッラーヒ」(神の御名において)と唱えてからいただきます。




左の奥に、大型のウサギ、右手前の車のボンネットのプラスティックのかごの中に、生まれたばかり?の小さなウサギが数匹

左手前には産みたてと思われる卵が大皿の中に


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