2018年8月31日金曜日

エジプト人の時間の観念


巡回校の校長室(今日は朝からケーキ!)

エジプト人の教育関係者と、打合せや会議や諸行事が、時間を指定されて訪れても、時間通りに始まったことは今まで一度もありません。

赴任当初は、その時間の曖昧さに内心驚いたり少し腹が立ったりしていましたが、彼らの日常行動の全体像が分かるまで、焦らず怒らずじっと我慢の子を貫きました。

勤務先、集合先に着くと、「お茶にするか、コーヒーにするか」と、まず聞かれます。他愛ない話をしながら30分くらいお茶を飲み、その間、入れ替わり立ち替わりお客さんや決裁文書を持った所員が訪れたり、その度にその人たちと挨拶を交わし、結局お茶を飲み終わっても、当日のスケジュール確認の話が始まりません。

しびれを切らし、「そろそろ時間は大丈夫ですか?」と控えめに話を振るのですが、その途端に電話が鳴って長話が始まったり、時々、秘書が、気を利かせてお茶のお代わりと、お菓子やケーキまで運んできたりします。いつも大体30分から1時間遅れて本題が始まります。

一番ひどかったのは、お茶やお菓子をさんざんいただきながらおしゃべりをして、2時間以上待たされたあげく「やることが片付かないので、今日予定していた学校訪問は明日にしよう。明日また来てくれ」という事態になったことです。それも、2~3回ありました。もちろん先方にはその場で電話確認をしていましたが・・・。

学校発表会や授業研究会などもその調子で、当日、こちらは所長室で10分くらい前からそわそわして待っていたのですが、所長が、「サンドイッチ買ってきたから食べてくれ、どれにする?」と、極めてマイペースなふるまい。「終わってからで良い」と言うと、「そうか」と言って秘書と一緒に食べ始め・・・結局、30分ほど遅れて会場に着きました。ところがビックリしたことは、先方の先生方も生徒も、我々が到着するまで、「行事」を始めずにずーっと待っていたのです・・・。日本以上に序列・階級の厳しい社会なので、そのようなマナー?は当然なのかもしれないのでしょうが、やはりそれは失礼ではないか、としばらく落ち着きませんでした。

というわけで、少々のことでは驚かず、ただただ教育現場の状況理解に努めます。そして、気の付いたことを、一方的批判にならないようにコメントし提起するという毎日です。

しかしそれは、EJS (開校予定の日本式学校) の指導教員研修会においても全く同様でした。指導教員だから、また、日本式の学校を作るという目標で集まってきた教員たちなのだから、「意識」が高いはずだと期待していました。
EJS指導者会議

ところが、結局、そのEJS指導者会議でも、今まで、会議が時間通りに始まったことはありません。時間が過ぎても、ある程度全員が集まらないと会議は始めません。その間、皆おしゃべりをしながら待っているのですが、そこに、5人、10人と、教員が30分くらい遅刻して入ってきます。ところが、悪びれた様子は何一つ見せず、堂々と入り口から入ってきて、ニコニコしてなじみの教員に抱きついて、ひとしきり朝の挨拶を交わしたり、なんと、「今日の1枚」という感じで写真を撮ったりまでするという、日本の常識では考えられない現象に驚きます。周りの人も、嫌な顔をしたり、注意したりということもありません。ピリピリしているのは日本人スタッフだけです。

これで日本式の学校運営を彼らは本当に採り入れるつもりがあるのだろうか、と疑問に思うのですが、いざ会議が始まり議論が始まると、途端に熱を帯び、様々な意見が飛び交い、白熱した議論が延々と続きます。

儀礼と上意下達と忖度が支配的な、冷めた日本の予定調和的会議とは全く異なります。若干雑で統制の取れていない会議なのですが、どういう学校作りをするのか皆真剣に語り合っているのがよくわかり、つい、好感を持って成り行きを見入ってしまいます。



EJS研修会
EJS研修会(この日はランチが提供された)

エジプト人の時間の観念について、しばらくは若干違和感というか否定的な感情を抱いていたのですが、最近気づいてきたことは、予定約束時間の前後に、三々五々、友人知人同士、お互いの気持ちや様子、体の調子を確かめ合い、挨拶を交わし、自撮り写真を撮ったり交流する中で徐々にお互いの体温を確かめ合い、全体の輪が広がり、そして、さあ始めましょうか、という機が熟し、いざ時が始まる、




・・・という通過儀礼が目標時間帯に凝縮している、と私は見ています。

何か悠久の、異文化交流、人間関係構築の、哲学的、歴史文化的な深い意味合いを、勝手に感じ取ってしまう今日この頃です。

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