「この席は、お年寄りや助けを必要とする人の席です」とアラビア語で書いてあります。
でも、エジプト人には、この表示は、あってもなくても全く関係ないようです。
というのは、知らんふりしてちゃっかり座っているというわけではなく、お年寄りや妊婦、身体の不自由そうな人が乗車してきたら、近くに座っている人は、ほとんど例外なく、素早く席を立って、ここに座われと言って声をかけるのです。また、多少込んでいて立っている人が何人かいる状態で、次の駅で、座っていた人が降りる場面では、その付近で一番年長と思われる人に向かって、「ここ空いたから座れ」と声をかけるのです。
この助け合いの精神というか分かち合いの精神がイスラム教の教えなのかなあと感心します。
白髪交じりだからか外国人だからか、私もしょっちゅう声をかけられ、席を譲られます。老人という自覚はなく日本ではまだ経験したことがなかったことなので、最初はやや躊躇しましたが、最近はお言葉に甘えるようにしています。と言っても、まだなかなか慣れずに恐縮しています。
そんなエジプト人ですが、電車に乗るときの無政府状態は、毎回目も当てられません。
電車が到着すると、順番とか列とか関係なく、出入り口付近に一気に人が殺到し、ドアが開いた瞬間、乗る人、降りる人が、押し合いへし合い錯綜して揉み合いになるのです。 助け合いも分かち合いもへったくれもありません。電車の中での席の譲り合いをいつも見ているだけに、全く理解不能です。
ある日のこと、沢山の人が降りてきている最中だというのに、横から後ろから割り込んで乗り込んで錯綜している状況に呆れ、平常心を保ち、全員が降りるのを待ってから乗ろうとしていたところ、何と、ドアが閉まってしまいました(^o^)。 「ドアが閉まります」等の合図やベルはないので、当たり前のことかもしれませんが、理不尽というか、ちょっと納得できませんでした。
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