2017年2月27日月曜日

古くて新しい、管理統制と自主管理(自主自律)の狭間で想うこと

 教師の権威が保たれているということはあながち悪いことではない。しかし、その権威の由来するところは、学徒にとっては、「真理の前にひれ伏す」潔さと冷徹さにある。地位や立場や自説に固執した瞬間、それは権力行使か他者抑圧に転化する。権威が崩壊するとき、それは、いつの世も管理統制という名の制圧や弾圧が引き金となった。急速に燃え上がり、かつ消えた、かつての日本の全国学園闘争の烽火は、教師にとっても学生にとっても、新しい時代を準備する「管理」の社会発展史的定義づけの不徹底と未成熟を明らかにはしたが、その課題解決は今も宿題となって我々に託されている。
 旧ソ連体制の「自主管理」の堕落、儒教精神を生み出した国とは思えない紅衛兵の動乱、「北朝鮮」の軍事行進やマスゲーム、「アラブの春」の騒乱・・・、結局は、日本も通ってきた道、いえ、今も抱えている解決すべき宿題のひとつであることを、日本人は他人の振り見て我が身を振り返り、謙虚に自覚すべきだと思うのです。ましてや為政者においては尚更内面的品位が問われます。
 そういう視点があって初めて、エジプトの教育改革が、日本と同じ轍を踏まずに、日本の教育文化の良いところを受け入れる素地が出来ると思うのです。

 いきなりこむづかしい世界にワープしてしまいましたが、今日、エジプトのとある小学校の全校集会に招かれ、一部始終参加してきました。いきなり、「日本からのお客様に全員で歓迎の挨拶をしましょう」に始まり(オイオイ勘弁してよ~)、先生方の訓示・諸注意はともかく、そこで披露された集団行動や生徒宣誓(何人かのリーダーが学校目標などを宣誓し、全校生徒がそれを繰り返し唱和)、その後の、張り裂けんばかりに歌う国歌斉唱に圧倒されました。圧倒されつつ、不謹慎にも先の想いが頭をよぎったのです。
 もちろん小学生ですから、「可愛いなあ」という言動が随所に見られたのですが、ひねくれ者の私は、大変失礼ながら、間違った方向に行かなければ良いなあと、あどけない子どもたちの笑顔に丁寧に応えながらも、一抹の不安もまた感じたのです。
と言いつつ、とても勉強になりました。そして、日本の子どもたちにこの様子を見て聞かせて、是非感想を聞きながら、今後の日本の学校教育と地球の未来について話し合ってみたいと思いました。

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