なにせ1000万人以上が住んでいるカイロ・ギザの中心部。渋滞の中をかき分けながら突っ走ろうとする車の、絶え間ないクラクションの音、マイクロバスの乗務員や物売りの、大声で連呼する呼び込みの叫び声、道端のそこかしこでシャーイを飲みながら早口 Arabic で激論する(ように聞こえる)男たち、行き帰りの子どもや学生の嬌声や笑い声、物乞いや煙草売りの悲痛に響く乾いた叫び声、日常目にしている限りでは、いつもと同じ人混みの、喧噪と活気と砂塵に溢れかえる街並みです。
そんな日常が繰り返されるこの国で、4月に入ってから3件も連続して爆弾テロが発生しています。今日も、北部の中都市タンタ、そして、地中海の大都市アレクサンドリアで、数十人の命が奪われています。この間多く犠牲になったのは、警察関係者と、コプト教徒の人たちです。
「アラブの春」直後は、ムバラク支持者が多かったと言われるコプト教徒もイスラム同胞団と連携して「民主化」のために努力したそうです。しかし、軍部のクーデターによってイスラム同胞団の政府が倒されて弾圧される立場に回って以降、圧倒的社会少数派(約1割)であるコプト教徒は、自らの保全のために軍部側に付いて、イスラム同胞団との連携は暗礁に乗り上げたと聞いています。
その影響なのか、軍、警察、コプト教徒が、ここ数年集中的に爆弾テロの被害に遭っています。今日のテロは、日曜礼拝に集まったコプト教徒を狙った犯行のようですが、正直意味が分かりません。たとえ、気に入らないからといって、本当に人を殺すのでしょうか。同じ国民同士が。
これは、エジプトの国民を分断して混乱に陥れ、自らの勢力の拡大につなげたいとする「IS」を始めとしたテロリスト集団の策謀だという人もいます。ローマ法王が今月の下旬にカイロを訪問するのに合わせた示唆行動とも。・・・それにしてもやはり、だからといって人を殺す、という結論に行き着くことが考えられません。殺し殺され、憎しみの連鎖が連綿と続く人類の歴史に終止符を打つ叡智と決断と勇気が勝るには、まだまだ人は、流す血と涙が足りないというのでしょうか。
昨日、トランプ大統領が国連安保理事会の審議入り以前に、化学兵器使用のかどでシリアに50発のミサイルを撃ち込んだそうです。もちろん何人もの死者が出たそうです。すぐさま日本の首相は理解を示した、との報道も。(大丈夫なの~、日本もテロに巻き込まれるんでないの?)
これって、大量破壊兵器を隠し持っているとのかどで、イラク爆撃を始めたのと全く同じでない?あの時も、いち早く日本の首相は理解を示しましたが、結局、大量破壊兵器は見つからず、他国をメチャクチャにしておきながら、何の謝罪もありませんでした。(それって、あり~?今もって全く信じられない!WHOの調査によるとイラク人15万人以上殺されてるんですよ。)
その後、イラクは崩壊と混乱を窮め、民族対立、宗派対立が激化し、彼らのアメリカ連合軍に対する憎しみと絶望は「イスラム国」誕生というオマケも生み出し、世界にテロを一層蔓延させる結果となりました。
シリアは化学兵器は使っていないと否定しているそうですが、イラク同様、今回も、またしてもアメリカの虚報、ミスリードだとしたら、指導者の皆さん、コバンザメの皆さん、一体どう責任とるのでしょう?戦争が終わったら、また、知らんぷり、なのでしょうね。
そんなことよりその前に、もっともっと他にやるべきことが沢山あるのではないでしょうか。
軍事力に頼る「力の政策」でなく、平和と信義を粘り強く求める覚悟と行動、地道な外交努力です。
日本と、アラブを始めとしたイスラム国家には、きっとそれが出来ると信じています。
少なくとも日本は第2次大戦後、戦争を放棄し世界の平和の調停者として「名誉ある地位を占めたい」と憲法でも宣言してるくらいですし、怪しい局面もありましたが曲がりなりにも平和を守り続けてきた国として。
イスラムの民は、何より、一日中、何度となく「平和への祈り」を、行き交うすべての人に向かって挨拶を捧げている人たちなわけですから、文字通り、現実に活かして欲しいと思います。
「アッサラーム・アライコム ( peace on you )」:あなた方に平和が訪れますように、と言って。