2017年3月31日金曜日

青空ひとりきり


通称「オペラハウス」 : 国立文化センターとして、コンサートホール、博物館、ギャラリー、図書館、フィルムセンター・映画館、カフェテリア等を擁する大規模文化複合施設                 【右奥に見えるのが、カイロタワー】


昼間歩いていると、ただそれだけで汗が出るような季節になりました。砂っぽい、どんよりとした空も、珍しく青空が広がっています。

天気予報によると、いよいよ来週から最高気温が30度を超える日が続くそうです。今からこうだと、暑さに弱い人間として、はたしてエジプトの夏を乗り越えられるのか心配です。

日本の「ピア」のようなものがないので、音楽会等の情報を仕入れに、オペラハウスを訪れました。ものすごく広い敷地にゆったりと大きな施設が配置されています。30年前に、JICAの援助で建設されたのだそうです。この広大な施設は、札幌の中島公園の1角に建つコンサートホール「キタラ」のような感じです。

久しぶりの開放感とくつろぎを感じるのは何故か?青空のせいだけではなく、ゴミの散乱していない空間に久々に巡り会えたから、ということに気づきました。

目の前に自然界とは異質のゴミが1つ落ちているだけで、自然と人間との一体感や調和が崩され、素直に没入することができなくなるという繊細な感情は、別に日本人だけが育んできた感性ではないと                                        思うのですが・・・ 

学校ミュージアム


校長から、ミュージアムを見せたいということで案内してもらいました。学校に付属博物館が併設してあるのはすごいな、と思いつつ付いていくと、それは、校舎の隅の最上階にありました。
   
先入観のイメージとは少し違いましたが、確かに1つの立派なミュージアムでした。
手作りのゲートと、街灯と花壇を模した入口の中は、リサイクル品の活用で作った装飾品や小物・雑貨類の数々でした。

ほとんど、紙や段ボール、瓶や缶、CDなどを加工して作った物です。中には、十分商品として店で販売できるような、綺麗で、実用性があり、完成度の高いものもありました。

なかなか良く出来ているので、ただ学校の片隅に飾って展示するだけではなく、バザーに出したり、保護者や地域の人に見に来てもらったり、販売したりしてはどうかと思います。
  
学校予算が少なく校長が自らポケットマネーで消耗品を揃えたり、広い校庭の手入れをしていると聞きましたから、尚更です。 

学校バザーを開いて、その売り上げ金で生徒用の消耗品や活動費に充ててはどうかと提案した所、それは出来ないという返事でした。 あくまで学校の中だけだと言うのです。
 
せっかく生徒がここまで一生懸命作っているのだから、まあ、それでミュージアムということなのだろうけれども、展示発表会とか学校祭とか、全校生徒や保護者や地域の人を対象に1年に1回位開催すれば良いのにと、ますます強く思います。

そういう学校文化がないということは聞いてはいますが、生徒にしても張り合いが出るだろうし、親だって子どもの活動を見たいのではないでしょうかね。
 
それにしても、どの学校を訪れても生徒は素直で真面目で一生懸命で、屈託のない笑顔に満ちていて、いつも心が洗われます。(まだそういう学校だけしか行ってないのかもしれないが)

先生方との信頼関係も良好で和やかで、日本の、困難を抱える学校の現実から比べると、とても羨ましく思います。

2017年3月29日水曜日

幼稚園の発表会

   エジプトの幼稚園や小学校では、盛んにナーサリーライムのような唱和やリトミック体操をふんだんに取り入れているようです。                                             この日は、朝から幼稚園のどのクラスでも歌や踊りの練習をしていました。先生方も随分熱が入っているので、どこかで発表するのか、と聞いてみると、来週、発表会があるのだそうです。                                   この間、エジプトには学芸会とか学校祭とかいう行事はないと聞いていましたから、それで現在、特別活動の導入のお手伝いをしに各学校を回っているわけです。
 
 なんだやってるじゃないの、どこかで誤解があって正しく伝わってないだけではなかろうかと思い、親も沢山来るのか、と聞いた所、いや親は呼んでない、教育省の関係者が見に来るのだ、という返事でした。

 これには少し、え~っ?と思いました。日頃の活動や勉強の成果を見せる相手が、親とか地域の住民とかではなく、教育省だというのです。もちろん、教育関係者を呼ぶのは大事ですが、まず、メインは、同じ学校に通う子どもたちや先生、そして、保護者や家族、地域の住民が先ではないかと思うのです。

 それはさておき、子どもたちは一生懸命、元気よく、そして楽しそうに歌い踊っていました。 

 


          
            長いスカートを回しながら踊る、エジプトの民族舞踊タンヌーラを、
            代表して踊るために、一生懸命練習する男の子




2017年3月25日土曜日

カイロの朝焼け

ハムシーンとかアムシールとかいう砂嵐の季節が、これから時々訪れるそうです。
 先週の夜中、2日間ほど、台風のような強風で、窓がかなり激しくガタガタ音を立てていました。ひょっとすると、それが、ハムシーンなのかもしれません。
 
 次の朝、机の上や、床が、白っぽい粉のような砂で、ジャリジャリしていました。隙間風が入る建て付けの悪いアパートですが、それでも、どこを通って砂が吹き込むのか分かりません。思ったより粒が細かいので、空気の中に混じって浮遊しているのだと思います。
 
 家の中すべてを掃除機にかけると、何と1回でゴミための5分の2ほどに砂がたまりました。これではたまりませんというやつで、健康にもよろしくありません。エジプト生活のオリエンテーションで、パソコン類は使用しないときには必ずカバーを掛けてください、と言われたのも納得がいきました。
 
 空気清浄機を買おうと思って店をいろいろ探してはいますが、今のところ、どこの店にも置いてません。他の皆さん大丈夫なのでしょうか。辺り一面の砂埃と、充満する車の排気ガス、その上、喫煙者がものすごく多い国です。彼らの健康は大丈夫なのだろうかと、人ごとながら心配します。
 
 
 その砂埃のせいか、それとも朝靄か、ちょっと絵になる幻想的な朝焼けが見られました。
 
 しかし、ナイル河畔のオアシス地帯なので緑は多いのですが、セピア色の写真というか、どれも砂埃に覆われて白くくすんでいます。そして、どこか殺風景で、街中とはいえ、家の瓦礫も放置されたままなので、余計に殺伐とした印象を与えます。エジプト5000年の悠久の歴史を感じます。

 

2017年3月24日金曜日

カイロに咲く花

 朝晩はまだ寒い(10度台前半)のですが、日中は日射しも強く25度を超え、上着を着てしばらく歩いていると汗だくになります。北海道の夏のような感じです。
 
 先週、一気に木々の花が咲き、いつもは砂埃でくすんだ灰色の街路地に、少し彩りがつきました。よく見てみると、ムクゲに似たような花です。色彩があるだけで、少し心が晴れやかになるものなのですね。
 

 週休日の初日で気分も軽いということもあります。おまけに、金曜の午前中なので、礼拝に行く人も多く、普段だと、部屋の中にいてもけたたましく鳴り響く車のクラクションの音も、今日は、珍しくほとんど聞こえてきません。

2017年3月21日火曜日

「母の日」の全校集会

 今日の訪問先は女子中学校です。今日は朝の7時半までに来てくれと言われ、いつも大ざっぱなエジプト時間で動いている人たちがどうしたのか、ホントかよ、と思いながら学校に着くと、授業前に全校集会があるのだということがわかりました。(早口 Arabic についていけなかっただけで、説明があったのかもしれない)

 で、今日3月21日は「母の日」なのだそうです。そして、それを祝う集会だということです。
 
 母への感謝ということで、ひとしきり、母への感謝のことばを、教育長、次長、校長、教務主任(?)、女性教員代表、生徒代表が次々と語り、お祝いソング(と思われる)を教員・生徒代表数名が壇上で披露し、全員がそれに合わせて口ずさんでいました。

 そして、全員ではなかった(子持ちの母親だけかも)と思いますが、女性教職員が一人一人呼ばれ、賞状とプレゼントを渡されていました。拍手あり、歓声あり、笑いありで、それはなかなか盛大で、微笑ましい時間でした。日本にもこういう行事があっても良いかなと、つい思ってしまいました。

 最後に女性リーダー教員が、スローガンのようなことば(行く先々の学校でやっています)を訴え、それを生徒が全員大声で唱和していました。その教員が長々とあまりにノリノリだったので、「もう止めなさいよ」と、隣の教員に背中を突っつかれる一幕もありました。

 そして、締めは国歌斉唱。「ビラーディ、ビラーディ、ビラーアアディ、ラキホッビーイー、ワーフワーアアディ(我が祖国、我が祖国・・・で始まるエジプト国歌です。ここにも、「母なるエジプト」というセリフが出てくるので、今日の国歌斉唱は、一段と熱がこもっていました。
(壇上にあげられていたので、ビデオを撮れなかったのが残念。)

「母の日」の全校集会
بلادي بلادي بلادي
لكِ حبي و فؤادي
بلادي بلادي بلادي
لك حبي و فؤادي

مصر يا أم البلاد
انت غايتي والمراد
وعلى كل العباد
كم لنيلك من اياد

بلادي بلادي بلادي
لكِ حبي و فؤادي
بلادي بلادي بلادي
لك حبي و فؤادي




ビラーディー ビラーディー ビラーディー     
ラキホッビー ワフアーディー
ビラーディー ビラーディー ビラーディー
ラキホッビー ワフアーディー

マスル ヤー オンミル ビラード
アンティ ガーエティー ワルムラード
ワアラー クッリル エバード
カム リニーリック ミン アーヤーディー

ビラーディー ビラーディー ビラーディー
ラキホッビー ワフアーディー
ビラーディー ビラーディー ビラーディー
ラキホッビー ワフアーディー
わが祖国、わが祖国、わが祖国、
わが愛と心は あなたの為にあり
わが祖国、わが祖国、わが祖国、
わが愛と心は あなたの為にあり

エジプト、全ての土地の母、
わが希望、そしてわが大志
全ての人々にもたらされる、
ナイルの比類なき祝福

わが祖国、わが祖国、わが祖国、
わが愛と心は あなたの為にあり
わが祖国、わが祖国、わが祖国、
わが愛と心は あなたの為にあり

2017年3月19日日曜日

エジプト人大学生による東北復興支援コンサート

アスワン大学日本語学科
全体合唱

 「311東北大震災6周年・復興支援コンサート」が市内劇場で開かれました。カイロ大学、アインシャムス大学、アスワン大学、バンハ大学、エジプト科学工科大学、国際交流基金日本語専修カイロ校・アレクサンドリア校、そして、日本大使館、国際交流基金、JICAスタッフ及び日本人関係者が参加しました。

 日本人ですら、もはや風化しかけた存在と見なしたり、意図的にそう見なしたい人がいるというのに、地震や津波のことを知っていて、今も支援したり気にかけていたりしているエジプト人が少なからずいることを、とても有り難く思います。
 正直、歌の完成度はもう1歩という感じでしたが、だからこそ余計に、一生懸命歌っている姿や彼らの純粋な思いに、見ていて胸が熱くなりました。今もなお苦しんでいる被災地の方々に、必ずその思いは伝わることと思います。

 覇権願望とともに歩んできた帝国主義的グローバリゼーションとは異なる、21世紀の人類のあり方を問う真のグローバリゼーションのあるべき姿は、こういう素朴な優しさ(=人を憂う)から広がるのではないでしょうか。それはまさに、passion (受難) から compassion (共感) への架け橋です。
 いい加減、人類はもう十分涙と血を流してきたはずです。対立と敵対を乗り越える知性と感性、そして少しばかりの想像力と包容力を発揮する勇気を!!メロディーとハーモニーに乗せて。






猫ちゃん熟睡中


今日は弟分もいなく1匹だけでした。
お疲れモードのようで、完璧に寝入っていました。
ゴミ布団の上って暖かいんでしょうかね。
何を夢見ているのでしょう。

2017年3月15日水曜日

心洗われる経験 ー 大学生が勉強に一番熱心!

アイン・シャムス大学外国語学部
 本日は、大学の授業見学、兼、日本語授業のお手伝いに行ってきました。アイン・シャムス(アラビア語で「太陽の目」)大学ですが、1952年ナセル・ナギブ等の自由将校団による革命以降、大学名はエジプトの歴史や史跡にまつわる名をつけるようになったのだそうです。1950年設立時は、イブラヒム・パシャ大学、革命後、1954年いったんヘリオポリス(ギリシャ語で、「太陽の町」)大学に変更しましたが、ギリシャ語ではなくアラビア語でということで、すぐに現在のアインシャムスに変更し直したとのことです。
 
 国立大の中ではカイロ、アレクサンドリアに次ぐ国内3番目の大学として誕生しています。法律、経済、商業、情報、環境、教育、幼教、外国語、農業、工学、薬学、歯学を抱えるマンモス校で、学生数は10万人を超えるそうです。1万人ではありません。エジプトの大学は、大体1つの大学が10万人前後ということで、キャンパスの中の人口密度は大変なもので、駅の雑踏を歩いているような気分でした。所々にコーヒーショップや売店があったり、ゴミが散乱しているそこかしこの(やはりここはエジプト)廊下や階段で、女子学生なども「地ベタリアン」でお菓子を食べていたり、携帯をいじっていたりしています。

 そんな状態だと、10万人もいるというし、先入観として、大学生の粗製濫造のような気がしていました。

日本語学科の授業
で、授業の教室に入ったのですが、学生達のなんと礼儀正しいこと、入った途端にきちんと挨拶されて、(考えたら当たり前か)、授業が始まると、学生の表情も一気に真剣で、また、教員の指示や発問に対しても、とても反応が良く、明るく元気で、そして楽しそうでした。
  大学生だというのに(これこそ粗製濫造の日本の大学に毒された日本人の偏見か?)元気よく手を挙げて答えたり、発音練習では、気持ちよい位、全員が大きな声で一斉にコーラスリーディング。これじゃあ、すぐ日本は負けるわ、と思いましたね。もちろん勝ち負けの問題じゃないけど。

 
 その後、グループワークでコミュニケーション活動のお手伝いをしたのですが、質問する際にはとても礼儀正しく、恥ずかしそうに、でも一生懸命伝えようとする姿勢に好感が持てました。

 ところどころ発音矯正もしてあげたのですが、例えば「よこばりなこと」ということばがピンとこなかったので、「欲張り」のことですかと聞くと、当たりでした。アラビア語には「え」と「お」の母音がないので、「い」と「え」、「う」と「お」の発音は流動化するのです。少しアラビア語の知識があったおかげで、エジプト人の間違った発音の日本語が理解できた、というのがとても嬉しく、貴重で楽しい経験でした。
 
 授業が終わったら、早速写真タイム。ホントにエジプト人は写真を撮るのが大好きです。学生たちも一気にはじけて、子どもっぽいハシャギようでした。

 でも、何か素直で明るく元気で、しかも授業中は真剣で意欲的。学生時代、どちらかと言うと斜に構えて白けていた私としては、大変心洗われる大学の授業でした。小・中・高・大と、学問内容が深まるにつれて、その真剣さが鋭く、熟慮に深みや味が出る、というのが本来の学びの姿であることを、久しぶりに思い出し、遭遇できたことに感謝です。今日出会ったアインシャムス大の学生たちが、エジプトの、そして、21世紀の未来を切り拓く大きな力になることを期待し、応援します。

2017年3月13日月曜日

何のための、誰のための工事?


 ある日、カイロ大学正門前で、作業員が地面に敷いてあるタイル煉瓦をツルハシで剥がしていました。補修処理かなと思って見ていましたが、次の日になると、それがどんどん広がり、何日かすると、外周の通路部分のタイルが全部剥ぎ取られました。
 
 大学前通りは、自動車用道路も歩行者用道路もきちんと整備され、他の市内道路よりもはるかに平坦で美観も保たれていました。従って、大して破損しているふうでもないので、傷んだ数カ所を部分的に補修するのだなと思っていたのですが、まさか全部ひっくり返すとは思いませんでした。もったいない。
 
 ひょっとしてカイロ大学周辺は1年に1回取り替えるとか決まっているのかもしれませんが、補修しなければならない道路は、市内には山ほどあります。瓦礫が飛び出ている道路や陥没している道路、段差があって凸凹な道路、いきなり砂地の露出している道路、さらに、歩行者の通行を妨げたり完全に遮断する、傍若無人な駐車の数々、ホントにカイロの町は歩きにくいです。何より、オープンゴミ捨て場と化している道路があまりに悲惨。
 だから、カイロ大学の周辺道路のタイル総入れ替え工事に、非常な違和感を感じました。
 もっとやること他に一杯あるでしょう!!


約2週間後、大学周辺のタイル通路はすっかり元通りになりましたが、確かに一件綺麗になったようには見えますが、もう早速ゴミがたまりj始めているし、タイルの破片が放置・散乱しているではないですか。何かスッキリしないし、優先順位を間違えているような気がします。

 日本でも時々似たような光景に出会います。
 2月、3月になると急に予算消化的に道路工事が始まったり、この前も同じところやったではないかと思う所をまた掘り返してみたり。何で1回にまとめてしっかりやらないんだ、といつも思っていました。

 カイロ大学はエジプトを代表する大学です。ひょっとして別格の手厚い保護を受けているのでしょうか。
 日本にいたとき、大地震で被害を受けた同地域の2つの学校の顛末を目の当たりにしたことを思い出します。
 一方は地域「トップ校」、もう一方は定員割れの工業高校。「トップ校」はすぐに修復が始まり、損傷規模の比較的大きかった工業高校は、手つかずでした。露骨です。

2017年3月12日日曜日

本日の猫ちゃん

今日は風が強かったせいか、いつも家の前に住みついている猫ちゃん (上のネコ) はゴミ布団に埋もれて顔だけ出していました。相変わらず哲学的な (・・・に見える) 顔をしています。
 下の若いネコは一生懸命エサをあさっていました。

 ところで、このゴミどうすんの?
 底の生ゴミは腐食し始めています。

2017年3月8日水曜日

外国での「職質(職務質問)」初体験


 夜9:30頃、徒歩で帰宅中、近くの警察署を通りかかった途端、ライフル銃を携帯した4人の警官にサッと囲まれました。
 これには一瞬ドキッときましたが、上官らしき年長の警官が割とゆっくり落ち着いた口調で「どこから来た?」「これからどこへ行く?」 と聞いてきました。「〇〇から来た.仕事の帰りだ。家はこの近くだ」と、何とか答えて身分証明書を見せると、しばらく顔写真と証明書をながめた後、「よし、通れ」、ということで、無事釈放。
 その間2~3分か?バックパックがこんもりしているから「爆弾の恐れあり」と疑われて止められたのか、かなり焦りましたが、日本の我が社の身分証は警察には効果があったみたいで、持ち物検査・身体検査は無しで解放。やれやれ。
 ちなみにバッグの中身は買いだめしてきたワインとビールでした。久々というか、「学園紛争」以来の「職質」にいささか緊張しました。銃口こそ向けられませんでしたが、目の前のライフル4丁はやはり居心地悪かったです。ホッ。

タハリール大通

 今、エジプトでは、各国大使館、警察、重要施設、街角の歩哨ボックスのような所で、ライフルを携帯した警官が数人周囲を監視しています。銀行や公共施設、学校・大学では必ず荷物チェックと金属探知器(空港にあるようなやつ)を通過します。スーパーマーケットで設置している所もあります。やはり、それだけテロ等を警戒しているのでしょう。なかなか物騒です。
 しかし、住宅地、街中は、今のところ、いたって平穏です。だいぶ政情が安定してきたということなのでしょうか。


 ただ、ここ数日、大使館からの情報で、不要不急の夜間外出や、治安機関、公共施設への接近は避けるよう指示が出ていました。革命6周年だそうで、大規模な反政府デモが計画され、警察との衝突や、それに巻き込まれる可能性があるからなのだそうです。
 
 今回は仕事の関係でやむを得ずの外出だったので、かなり周囲を警戒し、用心しながら歩いていたのですが、朝も同じ所を通っただけに、まさか警察に捕まるとは思いませんでした。

2017年3月7日火曜日

「中東」問題の核心部分が、やはり授業で



中2の歴史授業
中学2年生の歴史の時間でしたが、オスマン帝国の解体過程で、アラブ社会の中にどのようにしてイスラエルという国家が生まれてきたのか、という「中東」問題の核心部分がテーマでした。
 日本だと「政治的中立」性を過度に意識し(させられ)、淡々と味気ない授業になりがちですが、改めてここはアラブの国であることを実感。正に「口角泡を飛ばし」という感じで教師が熱弁を振るっていました。

 エジプトはアラブ全体を率いてイスラエル建国阻止の戦争に踏み切りましたが、第3次「中東」戦争までの軍事的敗北と戦費の圧迫により、第4次「中東」戦争(1973)で一定の戦果が出た段階で、イスラエルとの平和条約を真っ先に締結した国でもあります。その裏には、アメリカ合衆国から経済支援とイスラエル承認の交換条件を出されたのが大きいのですが、アラブ社会の中でもエジプト国内でも裏切り行為と批判する声があがり、おかげで条約を締結(1979)したサダト大統領は1981年に暗殺されます。(暗殺者が「同胞団」系将校だったため、今日のイスラム同胞団と軍部の確執は、その時から続いている)
 当時の後継のムバラク大統領(「アラブの春」によって失脚)は、当面の平和の実現と国民の安定、国力の増強路線を継承し、イスラエルとの「和平」は一応保たれたまま、今に至っています。

 しかし、エジプト人、そしてアラブ人、恐らく内心複雑な思いを抱いているのではないかと思われ、実際に教師はどのように歴史を読み解くのか、生徒に何を伝えようとするのか、どのような授業展開になるのか、とても興味深く授業に参加させていただきました。

 身振り手振り交えて熱く語ってはいましたが、意外に話す内容は、年表や地図を用いてひとつひとつ事実を確認し、年号や事象を生徒に確認しながら、現在のイスラエルと周辺アラブ諸国の地理的歴史的対峙関係を把握する、という展開でした。
 
  率直に言って、少しホッとしたような、しかし、がっかりしたような気分でした。
 というのは、ひとつは、もっと過激にイスラエル批判や英仏米批判が出るのではないかと想像していたからです。(ひょっとすると、ことばの端端に出ていたかもしれませんが、所々単語がわかる程度だったので、定かではありません)
  そして、ここが肝心だと思うのですが、何が問題だったのか、何を教訓とすべきか、今後どう解決していくべきなのか、について生徒の疑問や考えを出し合いながら議論する、という展開がなかったことです。1時間すべて参観していましたが、次回に連なるヒントや宿題(次回まで考えさせるような課題)もありませんでした。(ひょっとすると、日本のような規制や自己コントロールが働いているのかもしれません。そのうち聞いてみるつもりでいます。)

 学問とは、単なる知識の集積ではありません。もちろん、イデオロギーの誘導でも追究でもありません。過去を知ることによって、知識を継承することによって、未来に託された課題をどう現代的に解決していくのかという、一人一人に突きつけられた問いに自分はどう答えるのか、という人生と思想をかけた闘いであり、学びの道だと思うからです。

 こうして、エジプトでの授業を参観しながら、結局日本だって同じじゃないか、と、これまでの日本の教育の欠陥にも思いを馳せながら、21世紀の学校教育の在り方を、地球規模で、本当に人類の幸福と発展にふさわしい学びの場に改革していく必要性を、改めて強く感じています。

(補足)
 エジプトでは、ハッキリ地図にイスラエルの現況が示されていましたが、同じアラブでもかなり温度差があります。かつて、占領パレスティナを訪れた際、地区司令部に貼ってあった地図にはイスラエルは記載されていませんでした。敵対関係にあるのは当然としても、戦略上把握しておく必要はあると思ったので、地区司令官に、イスラエルのことは書かないのかと聞いたところ、ちょっとムッとして、断固とした口調で答えてくれました。「存在しないものは、存在しない!!」
 ・・・どうかなあと思いましたが、直接占領され、自分の故郷を追い出された人たちです。  つまらない聞き方をしてしまったかと少し反省しましたが、彼らの思いは、とてもよく伝わってきました。


2017年3月5日日曜日

今日の猫ちゃん

左:迷走する猫                    右:瞑想する猫
今日仕事から帰ると、家の前で猫ちゃんが、身じろぎひとつせず、ゴミ座布団の上で鎮座していました。
何かもの想いに耽りながら、ジーッと道行く人を眺めていました。何かもの言いたげに…
もう一匹は、チョコチョコ動き回ってエサをあさっていました。

2017年3月4日土曜日

急がれる地下鉄網の整備

人口約1000万人を抱えるカイロの交通渋滞は深刻です。けたたましくクラクションを鳴らしながら、隙間があれば少しでも我先にと、狭い道路を押し合いへし合い進みます。どの車も接触ギリギリです。普段の大ざっぱなエジプト人らしからぬ精緻な車幅感覚には、感心してしまいます。

 さらにその車の中を縫うように、人が横断します。というか、信号機がほとんどないので車道を横断するしかありません。子どもも、お爺さんもお婆さんもです。メインストリートになると車はビュンビュン飛ばしてきますから、そこを横切るのは至難の業です。私も何とか渡れるようになりましたが、一瞬気が緩むと、車が突っ込んできますから、その間合いには一瞬力の入った決断と気合いが必要です。夜は結構無灯火の車やバイクが紛れて走ってきますから、かなり危険です。これでよく交通事故が起こらないなと不思議に思います。

地下鉄ギザ・ドッキ駅ホーム
都心部の慢性的交通渋滞を解消するために、地下鉄網の整備は不可欠です。JICAの支援のもと、新しい建設工事が進行中とのことですが、なかなか遅々として進まずという感じです。空港までのルートや、ギザ・ピラミッド群までのルートなど、観光・経済発展にとっても重要な延伸ルートはかなり昔から計画されていました(今年で地下鉄開業30年)。現地の人に聞くと、高級住宅街ザマレク地区に地下鉄を通すと、「下層階級」が流れ込んでくるのを嫌がっている人がいるとのことでした。住民説明会のようなものはやっているのでしょうか。タクシー業界の反応はどうなのでしょうか。もう少し様子を見てみます。
 
 地下鉄の現在の一日の平均輸送人数は300万人弱あるといいますから(東京は700万人弱)、渋滞解消の一定の役割は果たしているのでしょうが、都心部の交通量はもう完全にパンク状態です。早急に何らかの手を打たなければならないのは明らかです。駐車場不足で、路上2重縦列駐車が至る所に見られるのも、渋滞の原因になっています。

       [左2列と右1列が路上駐車]

(余談)
電車の中で、何かジロジロ見られてるなあ、やっぱり日本人珍しいんだろうなあ、それにしても女の人しか乗ってないなあ・・・と思っていたら、真ん中の2両は女性専用車であることがわかりました。降りた後でホームの天井に “Ladies (only)” と案内板がぶら下がっているのを発見!!さすがイスラムの国。

2017年3月3日金曜日

続・ぼったくり精神と庶民のマナーの共存

 ぼったくりではないのか、騙されてるのではないのか、という不安や猜疑心を持って日々生活するのは少々疲れます。精神衛生上良くありません。健全な望ましい社会とは言えないですね。というか、それだけ日本人が比較的、普段あまり警戒心を持たずに生活を享受している証です。
 まあ、日本だってその警戒心の無さや善意を悪用した犯罪が時々発生しますから、要は、何事も自己管理と、周囲によく目を配り、犯罪を誘発させるような不用意な言動は慎むということでしょうね。

奥に見えるのが市内バス、ミニバス
一般乗用車と区別が付きにくいタクシー
最近ある程度現地の地理感覚がわかってきたので、少しずつ交通機関に慣れてきました。当初は、「ぼったくり」タクシーの運ちゃんに1勝3敗2引き分けという感じでした。道を知らないことを良いことに、或いは日本人とみてか、気を抜いていると、わざと遠回りをします。また、メーターが付いていなかったり、メーター(改造メーター)が不自然な上がり方をする車にも乗ってしまいました。初乗りは4ポンド(約30円)、4kmほどで約10ポンド(約70円)です。ぐるぐる回られて20ポンド(約150円)と言われ、いつも(自宅から事務所まで)10ポンドで着く、とやり合ったのですが、早口Arabicでまくし立てられて、「まあ50円位の差だからもうイイや」と、初回は負けてしまいました。2回目も似たような展開になり、だったら降りると言ったら、中を取って15ポンドになりました。2度あることは3度あり、今度は少し学習して、いったん降りてから、「あんた(アラビア語でアンタ、エジプトではインタ)が遠回りしたから悪い、いつも10ポンドだ!!シュクラン(ありがとう)!!」と窓越しで大きく強気で言って10ポンド札を渡すと、運ちゃん黙って引き下がりました。疲れる~っ!!・・・でもちょっと危険だよな、と反省し、それからは、メーターのない車は事前交渉、怪しげな改造メーターに気づいたらその時点で即抗議して値段交渉することにしました。でもやっぱり疲れるよな~。

マイクロバス、いわゆる白タク
ミニバスやマイクロバスはよく乗り方がわからなかったのですが、せいぜい1ポンドか2ポンドだというので、思い切って乗ってみました。乗り降り自由です。と言っても、降りるところをしっかり見定めておかなければ、降りるに降りられません。結果、 いつも通る道なら、結構便利だとわかりました。ただ、ライトバンに10人位ぎゅうぎゅう詰めですから乗り心地は良くないし、乗り降りも大変です。ただ、ここで感動したことがありました。お金はどうするのだと聞くと、前の人に渡すのだというのです。ちょっと心配しましたが・・・、後は、「ここで降りる」.と言うだけです。そして、後から乗った人が、1ポンド硬貨がないらしく10ポンド紙幣を前の人に渡しました。3~4人の人を介して運転手まで届き、そしてまた、ちゃんと9ポンドが順繰りに手渡しで戻ってきました。ちょっと感動!後で現地の人に聞くと、運転手も乗客も誰もごまかしたりする人はいないというのです。そういう暗黙のルールみたいなものがあるというのです。だったらタクシーや観光地のぼったくりは何なんだ、と思いましたが、慎ましく生活している庶民の助け合いや信頼関係の一端、そして本来のイスラムの精神を見た思いがして、少し心が暖かくなりました。ついでに、その現地の人に、タクシーの運ちゃんの話をしたところ、「彼らも可哀想なんだ、生きるのに必死で。特に最近、大学を出たって仕事がなく(失業率13%、日本3%)、そんな大学生が大量に、白タクをやったり、タクシーの運転手に流れている。ますますタクシー業界は生存競争が激しいんだ。」というのです。その話を聞いて、ちょっとタクシーの運ちゃんに同情してしまいました。交通機関はどう見ても、タクシーも含めて日本の10分の1以下の運賃。基本料金を多少上げてでも、きちんとメーター取り付けて適正運賃を請求した方が、お客も運ちゃんも心が晴れると思うんですけどね。

2017年3月1日水曜日

ぼったくり精神と庶民のマナーの共存

赤のピラミッド遠景
エジプトの観光地では、必ずと言ってよいほど「ぼったくり」の商売人や「にわかガイド」に出会います。昔、ピラミッド前で、私の近くにいた日本人が、「乗るのはタダ」と言われて乗って、降りるときに日本円で5000円要求された人がいました。ラクダって結構背が高いので、飛び降りるのはちょっと危険です。確かに降りるときのことは言ってませんが、きちんと値段交渉してからでないとトラブルになります。必死で日本語で勧誘され、断り続けてると、「100ポンド(約700円)でいい」とか、「乗るだけなら10ポンドでいい」(さっきの10分の1だろー、嘘くさい)とか、かなりしつこいです。

ラムセス像
正直、観光地で近寄ってくるエジプト人は、安心できません。お土産もその調子。先日、仕事仲間とラムセス博物館に行ったとき、入場待ちの間、パピルスの栞を3枚セット100円で売って回るおじさんがいました。100円(15ポンド位)ならと言って買う日本人観光客も結構いました。後で、市内のホテルで同じものが3枚セット5シート、5ポンド(40円位)、つまり、約10分の1で売ってました。やっぱりな、と思いました。そのホテルが適性価格なのか、たまたま特売だったのかはわかりませんが、どうもエジプトのお土産相場がまだわかりません。 結局、支払った価格がその時の相場ということになるのでしょう。

 ポンドの貨幣価値も低いし、物価も日本の5分の1(加工食品や電気製品は比較的高い)位ですから、日本の感覚で考えると、「何だ安いじゃん」とか、「結構高いけど、(こんな機会もうないから)まあいっか」ということになります。エジプト人からすると、「シメシメ」ということになり、日本人に対して、味を占めてさらにふっかけてくる、という悪循環が後を絶たないのだと思います。

 近くのカフェテリア式レストランに入ったとき、小学生低学年と中学年位の子どもが3人ほどトイレをうろついていたのですが、用を足した後、そのうちの一人の子から、ティッシュを一枚顔に突きつけられました。ここはレストラン付属トイレなのでチップは不要ですので、「おっ、来たなっ」と思いました。「ラッ、シュクラン(No, thank you.)」と言って出たところ、今度は、「マネー、マネー」と叫んで後をしばらく追いかけてきました。なんか哀しかったですね。ボロボロの汚れた服を着た、まだ小さい子が・・・。
 
 喜捨だと思って 1ポンド硬貨でもあげておけば良い、と昔エジプト人観光ガイドに言われたのを思い出しましたが、実際どうなんでしょうか?相変わらず心が晴れません。おもてなしに対価を払うというのは当然のことなのですが、こんな歓迎を受けては、喜捨しようとか、チップをはずみたいという感情が少しも湧いてこないのです。かと言って、今を生きるのに精一杯で生存競争の中でしたたかに生きる子どもたちに対し、安全な対岸から道徳心を説諭することの空しさや難しさも十分理解しているつもりではあります。

 エジプトの国家収入は、騒乱やテロによってかなり落ち込んでいるとはいうものの、変わらず観光が全収入の3分の1でトップです(2番がスエズ運河の交易権、3番が天然ガス、その次が、エジプト綿や農産物だそうです)。目の前の観光資源に感謝と誇りを持って、さらに、観光産業が、お互いが気持ちの良いもてなしと感謝の気持ちによって支えられ発展する、という方向へ、エジプトの観光省庁は大きく舵を切る必要があるのではないかと思います。