2017年6月23日金曜日

ラマダン中でもゴミの山は減らない

カイロ大学正門前 (右手がキャンパス)
ゴミが路上に散乱している国は、公衆道徳も低く、貧しい国が多いとは言われますが、教育とかモラル以前に、環境衛生とか美化意識を越えた、ゴミを捨てる意識や感覚がそもそも日本人と根本的に違うのではないかと思います。

先日、大学の周囲の舗道のタイルを、(大して破損していないのに)全て貼り替えたばかりのカイロ大学の正門の真ん前です。大金をかけて綺麗なタイル貼りの舗道にしておきながら、一方で、こんな状態が延々と続き、放置されたままの、大学前の舗道です。矛盾しているというレベルではなく、正直、あまりにもひどすぎます。

こんな状態を、通行人も、学生も、大学の先生方も、常時10数人いる門番や、警備の警官、兵士も、誰一人として目に入らない人は居ないはずです。ところが、気にして片付けるという人は、誰も居ません。清掃を専門としている階層の低い人たちの職を奪うことになるから、(善意で)敢えて片付けないんだと、どうやら本気で思っているようなのです。




一休み中の清掃人
実はやっぱり居るんですね。清掃業者というより掃除人ですね。竹ぼうきとリヤカーで、極めて手工業的です。ザマレクでは時々見かけたのですが、この辺りは、この人たちが行っているのでしょう。恐らく朝早くの作業なので今迄気づかなかったのかもしれません。しかし、これでは相当時間もかかるし、効率も悪いのではないでしょうか。

何かもっと、抜本的な、政策的・行政的な対策、すなわち、観光立国として、観光省、環境省、公務サービス、教育省が一体となった大々的取組があってしかるべきだと思います。




ラマダン中だからと言うわけではないですが、コラーンにも、お祈りする前に、身を清め周囲を清めなさい、とハッキリと説かれています。イスラム教徒の皆さん(エジプトだけかな?)、ちゃんとそれを守って、その、目の前、身の回りを、もうちょっとだけ視界を広げるわけにはいかないのでしょうか。宗教指導者にも是非考えて欲しいですね。


なんて言いつつ、日本では、昨年末、渋谷駅ハチ公前の喫煙所を撤去した途端、今ではハチ公前はタバコの吸い殻のポイ捨てでひどい状況になっている、との記事を、日本のデジタル・ニュース版で最近見ました。こんなことだから、あまり人の国のことは言えません。

日本では、さすがに路上に公然と、というのはマズいという意識があるのでしょう。日本は他人の目を気にする閉鎖社会集団ですから、そういうコントロールが良くも悪くも少しは働くのでしょう。

しかし、草陰や路側帯になるべく見えないように隠して平然とゴミを投げ捨てる人が、こうして後を絶たないし、行楽地の河川や海岸では、地元のボランティアが拾って拾ってきれいにしても、すぐにゴミが散乱するし、闇にまみれて山間部に瓦礫や産廃を不法投棄する輩が、後を絶ちません。

やり方が卑怯ですよね。結局、ある程度悪いと分かっているけど、面倒くさいし、邪魔だから、お金もかかるから、人に見つからなければ構やしない、という幼稚で卑劣な魂胆ですよね。

それって、掃除する人が居るのだからと言って、歩きながら、どこでもお構いなくゴミを平気でボンボン捨てながら歩いて行くエジプト人より、やり方汚くないですか?

・・・どっちもどっちか (^0^)
生ゴミ処理班 出動!



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