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対イスラエル戦勝利の絵 |
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教育部長執務室 |
カウンターパートが席を外しているときに、部屋の中に飾られている絵をじっくり鑑賞しました。
この絵の左下に 「
اكتوبر (オクトーバル) 」と書かれている文字は、イスラエルとの第4次中東戦争の「戦勝記念日」、10月6日をさします。
エジプトでは、それを記念して、砂漠の中に新規にニュータウンまで建設しています。文字通り、「10月6日市」という市です。ギザの西方にあります。今では人口50万人を超え、多数の大学、外資系企業も入居する広大な工業団地、大規模ショッピングモールなどが存在します。
そして、その街に、日本式学校が3校、この秋開校予定です。
ところでこの絵は、子どもたちが描いた作品の中の優秀作品だそうです。確かに子どもにしてはよく描かれているとは思いますが、題材としてはどうなのかなと日本人として思います。子どものころからこのような題材で絵を描かせることの根本的な是非について、気にかかります。
かつて昔、占領パレスティナで、子どもたちの描く絵を何枚か見る、同じような機会がありました。普段の日常生活を描いたということだったのですが、親や大人の影響も少なからずあったと思います。イスラエル兵の襲撃や銃撃シーン、死傷?や絶望?を表す、赤や、黒の塗りつぶしのある絵を何枚も見ました。沈痛で切ないのですが、恐怖心や憎しみというのが、小さいころから沈殿し増幅されているのがよくわかります。
第4次中東戦争以降、2度のインティファーダと呼ばれるパレスティナ民衆蜂起と、それに対するイスラエルの襲撃・弾圧がありましたが、近年はイスラエルによる巧妙な入植政策と「国境管理」で、大規模衝突は鎮静化しているとはいうものの、日常的にこの子たちは侵略や襲撃の恐怖と背中合わせの暮らしをしているのです。
(と言いつつ、一昨日のFBで、イスラエル兵に対する抗議映像が流れていました)
https://www.facebook.com/ahmedsefy1/videos/1457516384314699/
エジプトは現在、イスラエルと和平協定を結び、直接紛争は起きていませんが、潜在的な警戒感や反感は根強くあるように見えます。それは社会科の授業や、先生方の話の中からも聞こえてきます。しかしそれ以前に、「イスラム国」によるテロや、反政府勢力のテロ対策に必死の状況で、かつてのイスラエル対アラブという構図は拡散し、アラブ社会の情勢は一層混乱し複雑になっています。
「ススメ、ススメ、兵隊ススメ」「兵隊サンヨ、アリガトウ」等の教科書や歌謡を始め、直接、カリキュラムの中に軍事教練を採り入れるなど、戦意発揚、愛国心の強化等、戦争のための「国家総動員」計画の前面に教育が据えられた、ひと昔前までのかつての日本社会。
敗戦によるその教訓は、間違った戦争、正しい戦争・・・という思考を乗り越え、戦争そのものの否定と、教育を国家権力や特定の政治勢力が介入・支配してはならない、ということでした。
その、ある意味崇高な平和主義・理想主義を曲がりなりにも70年守り続けてきた日本も、世界的に暴力やテロがはびこる状況を前に、いつ日本でも実際に暴力やテロが起きるかわからない、北〇〇や中〇が攻めてきたらどうするんだ、と何やら理想を捨てる「覚悟」を迫られているようですが、逆に、その求められる覚悟こそが、大変な苦しみの中から生まれてきた、戦後の日本の平和主義の理念ではなかったのでしょうか。
やらなければならないこと、大切にしなければいけないことは、もっともっと他に、目の前にたくさんあります。
憎しみと暴力の連鎖を断ち切り、私利私欲支配欲を克服した教育、多様性の尊重と社会的共生、寛容と共感に満ちた、人類の新しい未来を築く教育こそ、21世紀を生きる我々一人一人の覚悟が求められています。
エジプトの幼稚園の子どもたち、可愛いんだけど、日本人は平和ボケだと言われようが、ホントこれでいいんだろうかと真剣に考えこんでしまいます。